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麦っ子畑保育園

座間市にある麦っ子畑保育園は認可外保育園として38年前に誕生しました。
誕生以来、近隣内外の地域から、麦っ子を必要とするすべての子を受け入れています。
毎日たくさんお散歩し、無低農薬の給食を食べています。
小さい子も大きい子も、食物アレルギーのある子も、世間では障がいがあると言われてる子も、いつもみんな一緒です。

昨年、国の保育制度が変わり、認可外保育園には助成金が出ないことになるそうです。(19人以下の小規模保育園を除く)
このままでは園の存続が難しくなってくるため、認可保育園への移行を決めました。
とはいえ、認可保育園への移行は簡単なことではありません。
膨大なお金が必要になります。
ですが、助成金の廃止まであと少し…。

私は結婚して神奈川を離れるまでの7年弱、麦っ子畑保育園で過ごしました。
麦っ子と出会って、人生観ががらりと変わりました。
麦っ子で過ごせた日々は本当に大きな財産になっています。

麦っ子がずっとあり続けていけるよう、私も何かできることをしたいと思い、この度、麦っ子畑保育園のバザーに出店させて頂きました。
麦っ子のバザーは卒園児がたくさんやってくるんです。
そのお陰で、ココロもカラダも大きく成長した子どもたちと再会することができ、たくさんたくさん力を頂きました。

野菜をお買い上げ頂いた皆さま、収益はすべて新園舎建設資金に寄付させていただきました。
ありがとうございました。

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↑バザー前に数年ぶりに行った麦っ子。変わらず、みんなごちゃごちゃと大家族のように過ごしていました。
おいしい給食を食べた後、息子も一緒にお風呂に入れて頂きました。

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子どもの為の時間、あったか~い空気が流れています。

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子どもたちが描いたステキな園バス

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ステキなゲルもあります。(卒園製作)

http://www.mugikko.org/
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松尾和敏

先端保育園の取り組み
■大島貴美子先生へ。お読みください。私は啓発活動をやっています。松尾和敏//ただいま私は『食卓からみた現代家族』というタイトルで、大正大学客員教授・岩村暢子先生の講座を受講しています。この講座から、今の若い日本人たちの★恐るべき食生活の実態★が見えてきました(本当にビックリしますよ)。

【1現代日本人の食生活】

◆1960年を境に、日本人の食事が様変わりしている⇒「新人類」どころか、★次元のちがう日本人★が出現している。

◆和食ブームのウソ⇒「ユネスコ無形文化遺産」(2013/12/4)に登録された「和食の重要性」を理解しているのは、★外国人のほう★。日本人の大半は分かっていず、逆にメタボになっている。

◆メディア報道のウソ⇒健康志向で「グルメ番組」が注目されているが、実際の家庭の食事はお粗末(岩村先生は厳格な調査をした)。

◆政府ぐるみの封印⇒岩村先生によりますと。今や、日本人の主食は【パン>ごはん】なのに、厚労省は【ごはん大好き日本人】と報道したという。

◆朝食抜きの家庭が多い⇒遅い睡眠時刻/立ちくらみ/成績・業績不振/集中力減退。

◆片寄った食事⇒夕食にコーラ、ポップコーンが提供される驚き。好きなものしか食べないから、「飽食の時代」なのに栄養失調。

◆各人バラバラの食事⇒親・子ども別々の時刻、別々のメニューの食事ゆえ、家族の会話一切無し。「一家団欒」という言葉は死語に。

◆マナー・食べ方などの欠如⇒「一汁三菜」「口内(中)調味」「三角食べ」などの言葉の意味が分からない。

◆柔らかい食べ物ばかりの食事⇒顎の未発達/小顔。

~~~~~~~~~~~~

🔘一汁三菜=[一汁]:汁物一品・[三菜]:おかず三品/(具体例):ごはん+漬け物+味噌汁+肉+魚+副菜

🔘三角食べ=①ごはん→②味噌汁→③おかず、という順番に食べていくこと。

🔘口内(中)調味=口の中で味を調和すること。ほとんどの日本人はできるが、★外国人は出来ない★。しかし、これができない子どもが出現してきた。

🔘噛むことの重要性=卑弥呼→1食につき3990回、徳川家康→1465回、戦前日本人→1420回、現代日本人→620回。直近は100回以下(噛まずにドリンクで流し込む)。噛むと頭が良くなるのに。


次に、以前、憂うべき日本人の食生活に警鐘を鳴らし【一家団欒の崩壊は日本沈没】とおっしゃった服部幸應先生に宛てたメールを紹介します。


【2一家団欒の崩壊】

服部先生、先日は『食育のすすめ~大切なものを失った日本人~』のお話をして戴き、まことにありがとうございました。「目から鱗」の講座でした。

「損保ジャパン」の『市民のための環境公開講座』に通い出してから、5年になります。私が主に何に注目しているかと言うと、「原発」及び「再生可能エネルギー」です。先生と同じく、将来の日本を考えて。先生もお感じになるでしょうが、この頃の日本人は、「自己中心的」になり、国家の事など考えませんね。小粒な人間ばかりになりました。

ところで、先生と私は、同級生だと知りました(私は1.26の早生まれですが)。また、本名は染谷氏で、服部は[芸名]の様なものである事も。先生の講座を是非受講しようと思ったのは、先生の心の奥底に、私と同じ様な「気骨」を感じ取ったからに他なりません。更に、私も「薬膳料理」を嗜むのですが、先生が料理の時間に、野菜の切れ端を、「これも入れましょうね」と言ったのが「切っ掛け」でした。何やら今、野菜から出る出汁をmenuにした店が流行っているとか。すぐ女性はboomに乗せられますね、健康志向で。当たり前ですよ、★皮に栄養がある★んですから。それを知っている先生は上述の様に振る舞った訳です。

一事が万事。この頃の若い子を観ていると、この娘(コ)じゃ「子育て」はとても無理、と思われる女性が増えて来た感じ。というのは、日曜日昼のTBSテレビ「東京マガジン」で。「やって、TR~Y!」という若い娘(コ)に料理を作ってもらうcorner(先生は観ているでしょうか?)があります。まるっきり料理の出来ない女性の多い事!(番組を面白くするために、ドンクサイ娘を選んでいるかのようです)。その結果、土日に家族揃ってファミレス(特に足立区はガスト)に出掛ける。

ここで、本論に入ります。先生の講座のsubtitle=~大切なものを失った日本人~

【一家団欒】が崩れ、失った代償は、図り知れず。それを列挙してみますね。→
__________
*礼儀作法の欠如
*間違った言葉遣い
*挨拶の欠如
*感謝の心の喪失
*物を大切にしなくなる
*親子関係の稀薄さ
*会話の無さ
*片寄った食事
*食品添加物・アレルギー
*高血圧・糖尿病・成人病・癌
*メタボ&ロコモ
*不眠症・鬱・自殺
*DV・虐待・孤立死
*ひきこもり・NEET
*家出・不純異性交遊
*生理不順・婦人病の増加
*成績不良・不登校
*希望無き人生
*虚無主義
*自己中心的人間の増加
*金欲主義

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

よくもまぁ、自分でも挙げた事よ、と思っていますが(それも現代日本の問題点ばかり)。最後の言葉⇒[金欲主義]は、現代の日本人を象徴しています。金・金・金の亡者─マザー・テレサに言われた侮蔑的言葉=【心の貧しい国─ニッポン】これが、全てを物語っています。末世の日本にあって、心を失った日本人は、[流浪の民]のごとく、迷いに迷っているのです。

子どもに嫌われない様にするため、威厳も叱る事も出来なくなった親・教師。しかも、先進20ヶ国中、最下位になってしまった日本が立ち直れるのか! 先生は、呆気なく『ムリ!』とおっしゃいましたね。しかしまだ、良識のある大人は、残っていますよ、私の「メル友」の様に。先生、もう一度、テレビで、今の大人たちを叱って下さい、「今なら立ち直れると」。


更に、幼児の食生活を心配し、1968年、福岡市に高取保育園を開園し、みずから園長として玄米和食にこだわり、逞しい保育園児を育てた西福江先生(1992年、藍綬褒章受章)を紹介します。次のメールは、現在の園長・松枝智子先生に宛てたものです。


【3高取保育園の取組】

松枝智子園長先生へ。初めまして。東京の松尾和敏(元英語教師)と申します。昨年、オオタヴィン監督による、「福岡高取保育園」のドキュメンタリー映画『いただきます みそをつくるこどもたち』を観させていただきました(次のウェブのイントロダクションを読んでくれれば、私の言いたいことが分かります)。
https://itadakimasu-miso.jp/

以前から西福江先生の理論に共鳴していた私は、感激して観ていたものです(私が西先生のことを知ったのはテレビから。私は栄養学を勉強していた)。今の子どもたちにアレルギーが多いのは、幼児から加工食品ばかり食べているからですよね。今こそ、日本食をPRせねばなりません。世界文化遺産になったからじゃありません(英米は戦時中、日本人の体力の凄さが日本食にあることを知っていた)。何でも、コンビニで買える世の中は、果たしていい世の中なのか! 屈託のない笑顔(チャンスがあればこの映画を是非観てください。まさに、しあわせな気分になれます)で完食する保育園児を観ていて、考えされました。
以上、3点のメールを読んで、皆様はどうお感じになりましたでしょうか?


松尾和敏(3/14)





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虹色畑

野菜の作り手が食べている、本当に旨い野菜を皆さんにも食べていただきたい。
化学農薬、化学肥料を使用しないで丹精込めて育てています。
昔々、湘南・鎌倉のお百姓さんはなかなか広い畑が手に入らず、小さな畑で何種類もの野菜を器用に育てていたそうです。
そして、そんな畑は「七色畑」と呼ばれていました。
ひとつの畑に色とりどりの野菜たちが旬を彩り、花も虫も草も共生できる・・・
そんな畑を目指して『虹色畑』と名付けました。
2016年1月、神奈川県中井町へ移住。家族で野菜作りを始めました。
個人様への発送、飲食店様への発送を中心に、イベントにも出店予定です。